京成松戸線(旧:新京成線)。この路線、超クネクネしてます。実は旧日本陸軍の鉄道連隊が敷設した軍用鉄道がルーツで、訓練に必要な距離を確保するためにクネクネさせた ─ というのが通説です。
でも、ちょっと待ってください。距離を稼ぎたいなら、遠くまで引けば良くね?クネクネさせる意味が分からん。そんな疑問を抱きながら調べていると、ある興味深い事実を発見しました。
なんと、この路線は台地の「分水嶺」に沿ってるから、川を渡る橋もトンネルも存在しないんだとか。(Wikipedia)
ん?もしかして…、クネクネの理由は「地形」にあるんじゃないの?今回は、そんな私の興味から…京成松戸線を掘り下げてみます。
京成松戸線がクネクネしてる理由|通説

京成松戸線は、松戸駅と京成津田沼駅を結ぶ全長26.5kmの路線です。
ちなみに、直線で結ぶと約15〜16kmなのに…、クッソ遠回りしてません?この「非効率の塊」みたいな線形は、旧日本陸軍の鉄道連隊が関係しています。
鉄道連隊とは、戦地で鉄道の敷設や復旧、運行などを担った部隊で、津田沼には鉄道第二連隊という組織が置かれていました。
ちなみに、鉄道連隊はそれぞれ約45kmの演習距離が必要だったとされ、すでに敷設済みだった津田沼〜千葉間の約16.7kmを差し引くと、残り約28.3kmの敷設が必要。

そこで、松戸方面の線路をわざとクネクネさせて「なんとか距離を捻り出した」というのが通説になっています。
ただここでちょっと補足しますが…、旧陸軍が敷いたのは津田沼〜上本郷駅付近までで、松戸駅までの区間は戦後に延伸されました。

また、五香〜常盤平付近など、現在よりクネクネ(大回り)していた区間も存在します。
当時、沿線には陸軍工兵学校や騎兵連隊、演習場などの軍事施設も点在してたので、これらの施設に沿うように、また兵員や資材の輸送にも使われたという背景もあったんでしょう。

クネクネしてる本当の理由は「地形」?

さて、冒頭で触れた「分水嶺」の話。なぜ分水嶺に沿って走ると、川を渡る橋もトンネルも必要ないのか。実は、ここに京成松戸線のクネクネを解くヒントが隠れてます。
そもそも分水嶺とは、降った雨が別の方向へ流れていく境界のこと。川は高い場所から低い場所へ流れ、台地を削り、谷を形成する。
この辺りの地形図を見ると、細長い谷が複雑に入り込んでいるのが分かります。つまり、最短距離で線路を引けば、谷を越える橋が必要になる。でも台地上を走れば…、川を渡る橋を避けられる。

しかも、台地上は山岳地帯とは違って比較的平坦なので、トンネルも必要ない。そんなこの地域の象徴とも言える場所が、初富駅近くにある「三分水嶺(界)」。
ここに降った雨は、東京湾・手賀沼・印旛沼の3方向へ流れていきます。まさに、雨が川になる前の台地。橋やトンネルを造るには、多額の費用と時間がかかる。


だったら…、山・川・谷から徹底的に逃げまくって「距離という数字だけを稼ぐ」のが合理的。軍とはいえ巨大組織ですから…アルアルです。
こういった地形やオトナの事情によって、あのクネクネが生まれた可能性があるんです。
クネクネしてる本当の理由を1つプラス

さて、京成松戸線のクネクネについて、もう一つ興味深い事実があります。津田沼周辺の古地図を年代別に比較すると、線路の形が何度も変わってるんです。
戦前の地図を見ると、軍用鉄道が総武本線(現JR)と接続してた様子が確認できます。そりゃそうですよね…。軍は国の組織ですから。
でも戦後に新京成線として旅客鉄道に転用されると、接続先は京成本線に変わります。

1944〜1954年の地図では、現在とは違う場所に「新津田沼駅」があり、総武本線を越えて京成津田沼方面へ大きく曲がる線路が描かれています。
さらに1965〜1968年の地図では、旧駅が「藤崎台駅」となり、新しい新津田沼駅へ向かう別ルートが登場。


そして1975〜1978年には、現在に近い位置へ「新津田沼駅」が移り、あの逆S字カーブが完成してます。
つまり、津田沼名物クネクネ線路は、戦後の線路付け替えも関係してた!というわけです。軍が距離を稼ぐためという通説に加え、軍事施設への輸送、下総台地の地形、そして戦後の線路付け替え。
京成松戸線の独特なクネクネは、こうした複数の事情が重なって生まれたものだったんじゃないでしょうか。
なお、京成松戸線のクネクネはこちらの動画でも公開しています。







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