実籾 ─ これで「みもみ」と読みます。千葉県習志野市にある町ですが、このあたりは地形的に面白い場所が結構多い。
そんなわけで、「次はどこを歩いてみようかな」とGoogleマップを見てたとき、実籾本郷公園の写真欄に「駒止谷に沈んだ恋」という案内板が投稿されてるのを見つけたんです。
読んでみると、昔このあたりには「馬が沈むような底なし沼」があり、そこで米を作ろうとした若者がいたんだとか。でも…、馬が沈むような場所で米なんか作る?
私はどうにも気になってしまったので、実際に現地を歩いて確かめることにしました。
民話「駒止谷に沈んだ恋」とは




江戸時代、習志野は見渡す限りの広い原野だったようです。その真ん中を、南北に分けるように走っていたのが「駒止谷(こまどめやつ)」という谷。(参考:習志野市HP)
この谷底には「底なし沼」が広がり、人や馬が入ると沈んでしまうといわれてました。
そんな駒止谷の近くに住んでいた若者は、あるとき村で一番美しいと評判の「おきん」に恋をします。でも彼は、広い土地を持ってません。

そこで、おきんを嫁にもらうため、駒止谷の開墾に挑戦。すると若者の稲は見事に実り、秋にはたくさんの米が獲れ、おきんと結婚の約束も交わします。
ところが翌年、その次の年も稲作は失敗…。その間、おきんは母親と死に別れ、遠い国へ出稼ぎに行ってしまったそうです。


きっと焦ってたでしょうね、若者。
早く結果を出して、おきんを呼び戻さなきゃと…。
そんなある夜、若者は黄金色に実った稲の夢を見ます。若者は駒止谷へ向かい、月明かりの下で稲穂だと思ってつかんだのは…泥沼に生える葦の葉。(参考:習志野市HP)
若者は沼へ踏み込んでしまい、そのまま沈んでしまったんだとか。その後、おきんも若者の後を追ったと…、伝えられています。
現在の駒止谷を実際に歩いてみた



今回は駒止谷の地形を追うため、最寄りの実籾駅ではなく、あえて京成大和田駅から歩いてみました。
大和田駅は、駒止谷から花見川へ向かって流れる水路の下流にあたり、周囲は台地が大きく削られてます。
そこから上流へ歩いていくと、谷は次第に細くなり、駒止谷に近づくにつれて両側の台地との高低差もかなり大きくなってきました。




谷底には現在も水が流れていて、現地を歩いた印象としては「沼」というより「谷川」に近い感じです。
途中、八千代台西中学校あたりでは谷底が少し広がり、「ここなら水田を作れそうかも…」と思いましたが…。




実籾本郷公園の案内板で駒止谷とされてるのは、さらに上流の日立産機システム事業所がある、東習志野7丁目付近。
道路から中をのぞいてみると、木や草がモジャモジャに茂り、その下を水が流れてます。しかも水面まではかなり深く、周囲に平らな場所はほとんどない。
こんな場所で米を作るとなると、もう川の中に稲を植えるしかなさそうです。少なくとも、現在の駒止谷を歩いた限りでは、「ここに水田を作って米が実るか?」という疑問は、ますます大きくなりました。
現地を歩いて見えてきた民話の背景

ただ、私が現地で一番気になったのは、駒止谷とは「かなり離れた」実籾本郷公園に、この民話の案内板が掲示されてることです。
ちなみに、実籾駅の周辺も台地が大きく削られた「広い谷地形」になっていて、今でも谷底には水田が広がる場所が残ってます。実籾本郷公園は、まさにそんな谷底の地。



逆に台地の上は水田を作るのが難しいので、米を作れる土地は限られてたはず。若者も野菜を売りに行く途中で、おきんと出会ってます。
絵をよく見てください。背中に大根を背負ってますよね。つまり畑は持ってたけど、水田は持ってなかったのかもしれません。


そして実籾駅周辺のような「条件のいい谷底」は、すでに他の農家が使っていて、残ってたのは「誰も手を出さない駒止谷」だった。そう考えると、若者が駒止谷を開墾した理由も見えてきます。
そして現地で感じたもう一つの疑問が、「本当に底なし沼に沈んだの?」ってこと。駒止谷は深い谷底に水が流れる地形なので、大雨が降れば台地から一気に水が集まりそう。


なので、もしかしたら若者は、不作が続く稲を心配して大雨の中で様子を見に行き、増水した流れに巻き込まれたんじゃないか。
そんな出来事が語り継がれる中で、「底なし沼に沈んだ」という…悲恋の民話へ変わっていったのかもしれません。
当日の冒険の様子は、こちらの動画でも公開しています。








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