田沼意次と聞くと、どんな人物を思い浮かべますか?
江戸幕府の老中として活躍した人ですが、「賄賂政治」という言葉とセットで語られることが多く、今でも良い印象を持ってない人が多いかもしれません。
私自身、以前は田沼意次に対して良いイメージを持ってませんでした。でも、ある出来事をきっかけに「田沼意次って、教科書で習ったような悪人だったんだろうか?」と考えるようになったんです。
そのきっかけは、高速道路のサービスエリアで見つけた、とあるお土産。そこから調べていくと、これまで当たり前だと思っていた田沼意次の人物像が、少しずつ違って見えてきました。
私が田沼意次を調べようと思ったワケ


- 牧之原土産 田沼意次ワイロ最中
- 販売:大竹屋(公式SNS)
説明:箱を開けるとお饅頭?かと思いきや、お饅頭(写真)の下から小判型の最中が!名物さがら茶の下心付き。
今からずいぶん前、東名高速の牧之原SAで「ワイロ最中」という、田沼意次をパロったお土産を見つけました。
当時の私は、田沼意次を詳しく知ってたわけじゃありません。ただ「面白い商品だな」くらいの感覚で、静岡出身で最中が好きな母親へ買って帰りました。
でもその最中を渡した途端…、母親の表情が「般若」に変わり、「地元の人間がなんでこんなことすんのよっ!💢」と大激怒。私にではなく、その最中を企画した側に対してですが…。


母方の祖母は、田沼意次の城下町である相良の出身。母いわく、田沼意次は名君として語り継がれていて、「相良で田沼様の悪口を言う人間などいない!」とのこと…。
その時、私は初めて「自分が知ってる田沼意次は、本当に合ってるんだろうか」と疑問を持ちました。
まあ、その後は特に調べることもなく過ごしましたが…、ある時ネット上で「田沼意次はイケメン!」的な記事を見かけたんです。

おいおい、何を根拠に…って思いましたが、私は母親にブチギレられた「あの出来事」を思い出しました。田沼意次がイケメン?…いや、あるかも。
そんなわけで、「田沼意次イケメン説」について調べてみることにしました。
田沼意次は本当にイケメンだったのか

まず、本当にイケメンかどうかは…、わかりませんっ!(笑)
写真が残ってるわけじゃないし、そもそも現代の感覚で「イケメンかどうか」を判断するのも意味がない。でも、あの有名な肖像画をもとにお顔を想像してみると…、こんな感じになるそうです。
どうです?イケメンですかね?

……。
「どーせチャッピーに描かせたんでしょ?」って思った方、まあそうなんですけどー、もうちょい真面目に掘り下げます。あと、夢が壊れるので…、次からはイラスト版の田沼さんにしますね。
ちなみに「イケメン説」ですが、田沼意次のルーツにヒントがありそうです。
田沼意次の父・意行は、紀州藩主だった徳川吉宗に奥小姓として仕えていましたが、吉宗が八代将軍になると一緒に江戸へ従い、幕臣となっています。

つまり意行は吉宗から信頼され、将軍になった後も身近に置かれた人物だったというわけ。
ちなみに、その息子である田沼意次も、少年期に吉宗へお目見えし、吉宗の後継者だった徳川家重の小姓に16歳で抜擢されました。
つまり、父・意行は吉宗の奥小姓、息子・意次は家重の小姓と、親子二代で将軍のすぐ近くに仕えたことになるわけです。

小姓は主君の身の回りに仕えるだけでなく、人前に出る機会も多い役目。なので能力だけではなく、礼儀や所作、身なりなども重要でした。
もちろん『小姓=イケメン』と断定することはできません。ただ、権力者の側近くに仕える立場である以上、容姿や立ち振る舞いにも一定の品格が求められたはず。
つまり現代的に言えば…、「イケメン」だったのかもしれません。
田沼意次はなぜ大奥でモテモテだったのか

田沼意次のイケメン説を調べると、「大奥から支持されていた」という話をよく見かけます。ただ、大奥の女性たちに人気があったから「イケメンですっ!」と言い切るのは…アホすぎでしょう。
大奥は将軍家を支える重要な場所で、「老中の見た目だけ」で政治的に協力するような組織ではないはず。ではなぜ、田沼意次は大奥とうまく関係を築けたのか。
私は、小姓時代から磨かれた対人能力によるものじゃないかと思ってます。当時の老中は譜代大名など、「生まれながらにして高い身分を持つ武士」が中心です。

また、男性が女性に気を遣いながらコミュニケーションをとる意識も…現代よりは希薄でしょう。つまり大奥の女性たちにとって、歴代の老中たちは皆、「横柄ジジイ」に見えたかもしれません。
一方の田沼意次は、小姓から側近を経て実力で老中まで出世した人物です。
幼い頃から主君の近くに仕え、相手の考えを読みながら行動する力を身につけていたり、身なりや礼儀作法を重視される環境にいたことで、立ち居振る舞いも自然と磨かれていたはず。
これが、大奥の女性たちから「イケメン」と言われた(?)理由なのかな…と思います。
ワイロ最中に込められた田沼意次の真実

最後に、すごく極端な言い方をしますが…、田沼意次は「賄賂をもらわなかったから失脚したんじゃないか」、と思ってます。もちろん、私見ですけどね。
権力者の世界では人間関係も力になるので、誰かから利益を享受すれば、その相手とは利害関係が生まれます。一方、それを拒めば反発する人間を増やすことにもなる。
田沼意次が失脚した理由は、政策への反発だけじゃなく、こういった政治的な人間関係も影響してたんじゃないかな?と思います。そう、意外と後ろ盾になってくれる人が少ないんですよね…田沼さん。

田沼意次が失脚した後、政治の中心は松平定信へ移りますが…、田沼意次はボコボコに否定され、その中で「田沼=賄賂」という人物像が広がったと言われてます。
そして現代、田沼意次の元城下町では「ワイロ最中」なるお土産が誕生し、私の母親をブチギレさせました(笑)。

ただ…実はこれ、田沼意次をネタにしただけのお土産じゃありませんでした。内蓋には、こんなことが書かれています。
「老中田沼意次の政策は、当時『日本』を藩という枠でしか物事を考えられない人々には理解されなかったが、新時代を見すえた天才的な政治家だった」と。

つまり…「賄賂政治のイメージ」を逆に活用して、200年経ったいまでも、地元の人たちは田沼意次の名誉挽回に奔走してるってわけ。
ちなみに私の母親も翌朝、内蓋を見て「あら…そういう意図だったのね♡」と…すっかり機嫌を直してました(笑)
田沼意次の気分でワイロ最中を味わったときの様子は、こちらの動画で公開しています。









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