鶴見線はヤバい?:誰も語らなくなった「怖い」理由と異世界の風景

鶴見線はヤバい?:誰も語らなくなった「怖い」理由と異世界の風景 沼レポ

なんとなく「ヤバそう」な空気を感じる。鶴見線にはそんな印象を抱かせる何かがあります。

写真で見た無人の駅、静まり返った構内、工場に囲まれたホーム。都市にありながらどこか異世界のように感じられるその雰囲気に、言葉にできない違和感を覚えた人もいるのではないでしょうか。

この記事では実際に各駅をめぐって肌で感じた空気感をもとに、その「異質さ」の正体を探ります。

駅名や構造、沿線の風景がどう重なって「ヤバい」と感じさせるのか。読み終えたとき、その感覚に輪郭が浮かんでくるはずです。

鶴見線はなぜ「ヤバい」と言われるのか

無人駅と工場地帯がつくる異様な空間

無人駅と工場地帯がつくる異様な空間

鶴見線が向かう先にあるのは観光地でも住宅街でもなく、ただ広がる工場地帯です。駅を出るとすぐに工場のフェンスが続き、生活の気配はまったく感じられません。

沿線のほとんどの駅は無人駅で、簡易改札はあっても駅員はおらず、構内には人影もありません。

工場で働く人々のために敷かれた路線という性質上、平日の朝夕以外はほとんど動きがなく特に土日は工場も止まっているため、空間は静寂に包まれます。

近年はSNSの影響で休日にも観光客が多く訪れるようになりましたが、それでも「暮らし」の気配はありません。

人がいても街がない。この矛盾した構造が鶴見線の持つ非日常感を際立たせ、「ここはちょっと普通じゃない」と感じさせる理由のひとつになっています。

乗り遅れると「詰む」鶴見線の特殊なダイヤ

鶴見線の「ヤバさ」は空間だけでなくダイヤの構造にも表れています。特に支線にあたる海芝浦方面や大川方面は本数が極端に少なく、日中でも1時間に1本以下という時間帯があります。

さらに本線と支線で系統が分かれており、乗り換えを逃すと長時間待たされることも。駅周辺には何もない場所が多く、待ち時間を過ごせる店もコンビニもありません。

今回の取材でも時刻を確認せずに降りた駅で、次の電車まで1時間近く待つ羽目になりました。ダイヤを理解していないと移動すらままならず、結果として「詰む」。

誰かに道を尋ねることもできない無人駅で、ただ時間だけが過ぎていく。その感覚がじわじわと焦りを生み、鶴見線の異質さを実感させます。

夜の鶴見線に漂う静けさと都市伝説の影

夜の鶴見線に漂う静けさと都市伝説の影

夜の鶴見線には、昼間とはまったく異なる空気が漂います。工場の稼働が止まり人の動きもなくなった沿線は、音が吸い込まれるような静けさに包まれます。

照明があるだけのホームは無人のままぼんやりと浮かび、ただ立っているだけで落ち着かない気持ちにさせられます。

特に国道駅のように壁に機銃掃射の痕が残る場所では、過去と現在が曖昧に交差するような違和感がありました。

そんな中、その日偶然鶴見駅で見かけた真っ白な車両(恐らく保線用の車両でしょう)に通りすがりの利用者が「これ、何の電車なんですかね?」と声をかけてきました。

この時は昼間だったので珍しい車両に皆が興奮気味でしたが、もしこれが誰もいない夜の無人駅を走っていたら ─「幽霊電車を見かけた!」とSNSに投稿する人がいてもおかしくないかもしれません。

普通の路線とは違う、その理由

財閥が敷いた「私有鉄道」の名残

財閥が敷いた「私有鉄道」の名残
鶴見駅の構内パネルより(鉄道博物館協力)

鶴見線の成り立ちは、公共交通ではなく企業の私有鉄道でした。

もともとは浅野財閥が自社工場への資材輸送のために敷いた「鶴見臨港鉄道」が前身で、街をつなぐというより「工場を動かすための路線」として設計されました。

沿線には浅野セメントや日本鋼管など浅野家に関係する企業の工場が並び、その通勤や輸送が主目的。

浅野駅安善駅大川駅といった駅名も企業や財閥関係者の名に由来しており、公共性より企業性が色濃く残されています。

通勤や生活のインフラとして自然に発展してきた他路線とは成り立ちが異なり、そうした「目的の歪さ」が今も構造や風景の端々に残り続けています。

その名残が「普通の路線とは違う」と感じさせる要因になっているのです。

戦争に取り込まれ、誰にも返されなかった

戦争に取り込まれ、誰にも返されなかった
鶴見駅の構内パネルより(鉄道博物館協力)
戦争に取り込まれ、誰にも返されなかった
鶴見駅の構内パネルより(鉄道博物館協力)
戦争に取り込まれ、誰にも返されなかった
鶴見駅の構内パネルより(鉄道博物館協力)

鶴見臨港鉄道は1943年、戦時体制下で国によって買収されました。軍需輸送を効率化するために全国の私鉄が国有化された流れの一環ですが、終戦後に元の企業へ返還されることはありませんでした。

背景には浅野財閥がGHQの財閥解体で消滅したことがあり、返還を求める主体そのものが消えたのです。こうして鶴見線は宙ぶらりんのまま国鉄、そしてJR東日本へと引き継がれ、現在に至ります。

更新されず開発もされず、ただ「国に取り込まれたまま」残ってしまった。その経緯を知るとこの路線がなぜ浮いているのか、その理由が見えてきます。

誰にも返されず誰の責任にもならなかった線路。それこそが鶴見線の持つ異質さの源のひとつです。

語られずに残った「戦争の痕跡」

語られずに残った「戦争の痕跡」

国道駅の壁に今も刻まれている無数の凹み。それは戦時中、この路線が実際に攻撃された痕跡だとされています。

もともと浅野財閥が敷いた私有鉄道だった鶴見線は戦争中に国によって買収され、軍需輸送に使われていました。その結果アメリカ軍の攻撃対象となり、国道駅は空襲で機銃掃射を受けことに。

現場にはいまも弾痕が残り、誰でも見ることができます。しかしその説明はどこにもなく、案内板もありません。気づかぬまま通り過ぎる人がほとんどです。

戦争に巻き込まれて攻撃を受け、その痕まで放置されたままの駅が今も黙って動き続けている。鶴見線には戦争に巻き込まれた過去が、どこか空気のように残っています。

たぶんそれが、「鶴見線が怖い」と言われる本当の理由です。

 

駅名が語る財閥の記憶と未完の未来

駅名に刻まれた企業の記憶

駅名に刻まれた企業の記憶

鶴見線の駅名には、かつての企業文化が色濃く残されています。浅野駅は鉄道を敷いた浅野總一郎に、安善駅は安田善次郎に由来するとされ、大川駅や武蔵白石駅も工場や関係者の名が由来です。

地名というより「人名や企業名」に近いこれらの駅名は、当時の企業城下町構想のなごりといえます。

現代の利用者にとっては意味のわからない名前が並んでいますが、それこそが時代の記憶をそのまま残している証拠でもあります。

企業が鉄道を持ち、街をつくり、駅に名前を刻む。そんな時代の痕跡が令和の今も更新されずに残っているという事実には、ある種の異様さが漂います。

駅名から遡れる歴史があるという点で、鶴見線は「名乗り方」からしてすでに他とは違うのです。

出口のない駅、海芝浦の閉塞感

出口のない駅、海芝浦の閉塞感

海芝浦駅は鶴見線の終点のひとつです。東京湾に突き出すようなホームから海を眺めることができ、SNSでも「絶景駅」として知られています。しかしこの駅には大きな特徴があります。

改札を出た先は東芝の私有地で一般の利用者は外に出ることができません。ホームからは出られず、着いたらまた同じ電車で引き返すしかない。

この「行って戻るだけ」という構造は普通の路線にはない閉塞感を生んでいます。景色は開放的でも、構造は極めて閉じている。

観光客が増えても駅の使い方も構造もまったく変わっていないという事実が、逆にこの場所の異常さを際立たせます。

どん詰まりで、しかも出口がない。この駅は鶴見線という路線全体を象徴しているのかもしれません。

なお、海芝浦駅に関してはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

海芝浦駅はなぜ撮影禁止?:釣りの可否や終電逃したらヤバい理由など徹底解説
見た目は穏やか、でも実態は超制限付き?海芝浦駅の「知らないと詰む」ポイントを解説します。

誰も変えようとしない鉄道の現在

誰も変えようとしない鉄道の現在

鶴見線の沿線には再開発の波が届かず、駅舎や構造が何十年も前のまま残されています。バリアフリー化や商業施設の整備といった変化もほとんどなく、今も「昔のまま」で使い続けられています。

その理由のひとつは沿線人口の少なさと利用目的の偏りです。もともと通勤用・工場用だったこの路線は、生活路線としての更新対象になりにくく投資の対象にもなりづらい状況にあります。

とはいえ「大きく変えようとした形跡」すら感じられないのは異例です。便利にしようという気配すらない。

誰も困っていないのか、誰も関心を持っていないのか。そのまま時間だけが進んでいるような空気感が、鶴見線の今に漂っています。

 

まとめ

鶴見線はヤバい?:誰も語らなくなった「怖い」理由と異世界の風景

鶴見線に「ヤバさ」や「怖さ」を感じる理由は、人が少ないことや設備が古いことだけではありません。その奥には企業と国家の思惑、戦争の痕跡、そして語られないまま残された時間の層があります。

駅名や風景、構造のひとつひとつに背景を知らなければ見落としてしまう違和感が潜んでいます。

この記事ではその一部に触れることしかできませんでしたが、もし実際に足を運ぶ機会があれば、ぜひ「なぜそうなっているのか」を考えながら歩いてみてください。

見えなかったものが少しずつ輪郭を持ち始め、「ヤバい」と感じた理由が静かに理解に変わっていくかもしれません。

編集後記

編集後記

今回は「鶴見線がヤバい」と言われる理由を探るべく、実際に全区間を歩いたり乗ったりしてきました。特に大川支線は休日の本数が極端に少なく、1日にわずか3本。タイミングが合わなければ乗れないため、今回は歩いて向かうことにしました。

私が鶴見線に来たのは、今回が人生で2回目。初めて訪れたのは10年ほど前になりますが、その時の思い出をもとに先日当サイトで海芝浦駅についての記事を公開しました。こちらの記事です。

海芝浦駅はなぜ撮影禁止?:釣りの可否や終電逃したらヤバい理由など徹底解説
見た目は穏やか、でも実態は超制限付き?海芝浦駅の「知らないと詰む」ポイントを解説します。

内容は「行く意味ないんじゃない?」というトーン。でも…その記事を公開した1週間後、なぜかまた鶴見線を訪れてしまいました。しかも海芝浦駅まで行ってました。自分でもツッコミたくなる展開です。

そして実際に行ってみると、以前よりも訪問者が増えている印象を受けました。SNSの影響もあってか、今では鶴見線全体が「静かな観光路線」として注目を集めているようです。

老夫婦が駅で記念撮影をしていたり、観光パンフレットを見ながら乗車するシニアグループがいたり。海芝浦駅で写真を頼まれたときも、笑顔が印象的でほっこりしました。

なにより、鉄ヲタ以外の一般おでかけ勢が多いことに驚きです。

鶴見線の「ヤバさ」は怖いとか不気味といった言葉では片づけられません。歴史や空気感、そして人の少なさに漂う静けさ。(と言いつつも、あまり”少なくなくなってしまった”のが複雑なんですが…)

それが今の都市ではあまり見られない「空白」として響くのかもしれません。

前回の記事で「行く意味ない」と言っていた私ですが…。行く意味…、あったかもですね…。ごめんなさい(笑)

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