筑波山といえばガマ(ニホンヒキガエル)、ですが…。「なんで山の上でカエル?」と感じる人や、あのシュールすぎる筑波山のイメージにモヤモヤする人って、意外と多いみたいです。
この記事では、筑波山がなぜカエルの名所みたいになったのかを、昔話・周辺の地形・名物が生まれる仕組みという、三つの視点で整理します。
読み終える頃には、「筑波山がカエル推しな理由」についてスッキリ理解できるはず。ロープウェイ・ケーブルカーを待つ間にサクッと読めるボリューム感にまとめました。
雑談ネタ、または観光中のちょい知識として、ガマんせずにちょこっと読んでみませんか?
筑波山はなぜカエルで有名なのか

筑波山がカエルで有名になった理由として、よく言われるのは「ガマの油売り口上が人気を集めたから」というもの。
日本刀を持った侍が、塗り薬の効能を軽妙な語りで見せる「あの実演」が広まったことで、「筑波山といえばガマ」という印象が一気に定着していったという説です。
さらに筑波山の頂上付近には、カエルの姿にそっくりな「ガマ石」もあって、観光案内や登山ルートの楽しみとしても「筑波山らしい象徴」として親しまれています。

そしてもうひとつ、カエルが有名な理由として欠かせないのが「無事かえる」という語呂の縁起。旅のお守りとして長く親しまれてきたこともあって、お土産にもカエルが多用されました。
ガマの油、ガマ石、縁起もの。この三つが揃ったことで、筑波山が「カエルの山」として有名になった。これが、一般的に言われる「筑波山でカエルが有名な理由」です。
筑波山とカエルの地形的なつながり

でも「口上の侍」は、なぜ「ガマの油」を売ったのか。名物は「その場所に実在するもの」と結びつくと一気に広まりますが、ガマ(ヒキガエル)が多いのは山の上ではなく、麓の湿地。
ただ、標高877mの独立峰「筑波山」の周囲は霞ヶ浦から続く湿地が広がっていて、古くから稲作を生活の軸とした集落が存在したと思われます。
実際に「沼田」などの小字地名が今も残っているほどで、そんな麓の湿地こそ、カエルにとっては快適な居住空間。

つまり人が日常的に見かけていたのは「筑波山のカエル」ではなく、「山麓の集落」に住んでいた大勢のカエルたち。
そんな生活の中、地域のシンボルである筑波山に、土地のイメージであるカエルが重ねられます。
そこへ「ガマ石」や「口上文化」が合わさり、外部の人たちにも「筑波山はカエル」というイメージが立ち上がっていったのではないでしょうか。
筑波山がカエルを名物にした理由

「外部の人たちにも」と言いましたが…、筑波山が昔から「参拝の山」として、多くの人が行き来していました。
人が集まる場所は名物が生まれますが、農業が中心だったこの地域にとって、「名物づくり」は大変だったはず。餅や饅頭では他所と同じ。
試行錯誤の結果「塗り薬のようなもの」ができたけど…、「筑波の油」ではインパクトがない。そんなとき、山の周囲に湿地が広がり、カエルがゲコゲコ鳴いてることを思い出したのかも。


筑波山へ向かう参拝者もこの鳴き声を耳にしているので、「カエル」は自然と結びつく。そこに「ガマの油」という名前が加わると、語感の面白さもあって売りやすい。
こうしてカエルは、筑波山をブランディングする位置に置かれたんでしょう。
「口上」や「ガマ石」などは、そのブランドと販売戦略の一環として「象徴として置かれるようになった」と考える方が、私は自然な気がします。







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