テレビなどで利根川が「坂東太郎」と呼ばれている。でも「それって人名じゃないの?」と思った人や、「ファミレスじゃないの?」って思っちゃった人のモヤモヤを片づけます。
利根川の異名だとか言われてもよく分からないのは、「太郎=人名」っていう普通の感覚と、川の呼び名が結びつかないから。
この記事では、利根川がなぜそんな呼ばれ方をされているのか、次郎や三郎、四郎や五郎の存在、いつ誰が言い始めたのかなど…そのあたりを「地形の視点」で整理します。
ばんどう太郎で「とんかつ御膳」が届くまでの間にサクっと読めるボリューム感。「利根川が作った関東地方」のこと、食前に少しだけ知ってみませんか?
利根川はなぜ「坂東太郎」と呼ばれるのか

坂東太郎とは利根川の異名で、人名っぽいけど「誰かの名前とはまったく関係ない」呼び方です。
「太郎」というのが、どうしても名前をイメージしてしまうので違和感が出ますが、ここでの太郎は名前ではなく「最上位」や「筆頭格」を表す意味。
そして「坂東(ばんどう)」は今でいう「関東」を指す古い言い方なので、まとめると坂東太郎は「関東地方を代表する川」という意味になります。


昔は物の規模や重要度を伝えるために「兄弟の序列」にたとえて呼ぶ文化があったようで、九州の筑後川が「筑紫次郎」、吉野川が「四国三郎」と呼ばれていました。
もちろん河川に兄弟関係はないのですが…、日本を代表する大河を「兄弟で表現した」といったところでしょう。
誰が最初に言い出したのかは分かってませんが、少なくとも江戸時代には広く使われていた表現として知られています。
坂東・筑紫・四国三兄弟の「凄さ」を知る

では、その「三兄弟の凄さ」見てみましょう。
ちなみに現在の利根川は、徳川幕府が進めた「東遷後の流路」です。かつての利根川はざっくり言うと「現在の江戸川」で、東京湾に流れ込んでいました。
標高図を見ると、旧利根川は荒川と組んで都心の約半分をボコボコ(真っ青)にしています。
一方、東遷後の現利根川も霞ヶ浦周辺で低地が連続し、かつて「香取海という巨大な内海」だったことが見て取れます。
いずれにしても、関東地方は利根川が作ったようなもの。長男と言われるのは順当でしょう。


「筑紫次郎」こと筑後川は九州最大の筑紫平野(佐賀平野を含む)を形成し、ここでは「クリーク」という毛細血管のような水路を活用した農業が特徴です。
「四国三郎」こと吉野川も、徳島県内に平野を形成してるように見えますが…、兄二人と比べるとちょっと地味かも。不思議な三男です。

木曽三川や淀川が「兄弟」に入らない理由

さて、ここまで読んで「木曽三川の濃尾平野」や「淀川の大阪平野」の方がデカくね?って思った人、ナイスです。
確かに地図上で大きさを比べてしまうと、坂東太郎の弟は「濃尾次郎」に「淀川三郎」の方がしっくりきます。でも、この話で大事なのは地形ではなく「この表現が生まれた時代」でしょう。
そもそも「坂東」という呼び名は、鎌倉〜江戸時代初期に使われたと考えられています。そして江戸時代、大阪は「上方」と呼ばれ、濃尾平野も江戸からそこへ至る中間地点。
当時、文化は上方から江戸へ「下る」と考えられていて、江戸に下る価値がない物が「くだらない」の語源になった ─ そんな説もあるほどです。
こんな価値観の中、長男の坂東太郎的に「上方側の大河を次男三男に置くのは気が引けた」のかも…。もちろん、言い出した「誰か」の話ですけどね。







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