岐阜に着いて駅の外へ出てみると、広場には金ピカの信長像が立っていて、バスもポスターも信長だらけ…。「え、岐阜ってこんなに信長推しなの?」と、不意に違和感が生まれるのは自然なことです。
この記事は、仕事や旅行で岐阜を訪れた人が感じる「なんで?」を、スッと解くために書きました。信長といえば清洲や安土のイメージが強いけど…、なぜ岐阜と信長はこんなに強く結びついたのか。
鵜飼の「鵜」じゃ映えないから無理やり使ったとか?─ そんなモヤモヤの正体が、一度にわかる内容にしてあります。
信長の野望によって形作られた「岐阜の事情」について、ちょっとした知識を得られるはずです。
なぜ岐阜は町中「信長だらけ」なのか?

岐阜の町中が「信長だらけ」なのは、信長との結びつきが「本当に深いから」。信長は尾張(愛知県)の大名というイメージが強めですが、美濃(岐阜県)を制圧すると、信長は岐阜へ引っ越してしまいます。
これ、当時としては「かなり珍しいコト」。あの武田信玄や上杉謙信も甲斐や越後を動かなかったように、戦国大名は基本的に引っ越しません。

そんな中、信長は清洲→小牧山→岐阜→安土とバンバン引越しを繰り返す「ヤドカリ大名」。しかも岐阜では天下取りを本気で意識し始め、街の名前も「稲葉山」から「岐阜」に変えています。
こういった「町ごと俺色に染める」スタイルは、秀吉がリスペクトして丸パクリしたほどです。つまり岐阜は、あの信長に「天下取りの拠点」として選ばれ、地名まで付けてもらった都市。
だからこそ、町中が「信長だらけ」になってるわけです。
元々信長の土地じゃないのになぜ推す?

さて、美濃(岐阜県)はもともと信長の領地だったわけではなく、最初に治めていたのは守護大名の土岐(とき)氏。
でも油売りだった(諸説あり)斎藤道三が国を奪い取り、道三の死後は斎藤家が内輪もめで弱ったところへ、信長が攻め込んで美濃(岐阜県)を手に入れました。
つまり美濃(岐阜県)は「外からの支配者が何度も変わった土地」で、それだけ狙われやすい「立地」だったということです。

ここは東西をつなぐ通り道で、交通の要衝。押さえれば戦で一気に有利になります。水も平野も多く、作物がよく実る豊かな土地で、中央から見ても価値が高い土地でした。
こういう場所では争いが絶えず、支配者も安定しないもの。
そんな中、この地を本拠地に決めて「力づくで安定させてしまった」のが信長。だから今でも、岐阜では「よそ者だけど信長推し」が続いてるわけです。
岐阜に来ると感じる「なんか変」の正体

初めて岐阜に行くと感じる「あの微妙な空間のねじれ感」…。岐阜駅前がメインっぽく見えないし、観光地の方向感もつかみにくい。
岐阜城は遠くに小さく見えるけど、どう行けばいいのか分からない。市役所や県庁もかなり不便な場所で…、他の都市と比べて「クセが強すぎる」独自配置。
これ、実は岐阜が旧型のガチ山城(岐阜城)を中心に発展したのが理由で、平地の都市とは街の組み方が違うからです。

山を避けて道路が作られ、行政の中心も山城の周りに置かれるので、駅周辺が「主役」にはなりません。県庁所在地で「ガチ山城都市」は岐阜・仙台・鳥取くらいしかなく、実はすごくレアな存在。
信長が稲葉山を「岐阜」と改名してから約450年。
「ガチ山城下町」なのに大きく発展し、町中「信長だらけ」なのは、岐阜は未だに「信長の色に染まってる」からなんでしょう。








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