横浜と横須賀って、どっちも神奈川の港町だし、しかも名前までちょっと似てるから「結局何が違うの?」と気になった人に向けて書いてます。
実際、会話の中で出てくるわりに、この違いをちゃんと説明できる人は意外と多くありません。いや、正確に言うと…気にしてない人がほとんど、というのが実態だと思います。
この記事では「横浜と横須賀がどう違うのか」を、街の成り立ちや役割、地形や暮らし方まで含めてざっくり整理します。
読むと「ああ、そういうことね~」くらいの温度感で、モヤっとしてた部分がスッと腑に落ちるはずです。
横浜と横須賀はいったい何が違うのか


横浜と横須賀の違いをざっくり言うと、まあ…市が違います。
横浜生まれの私にとっては「それ以上でもそれ以下でもない」のですが…、おそらくこの記事の読者さんが知りたいのは、そんなことじゃないのでしょう。
なのでもう少し具体的に言うと、横浜は「貿易や商業で発展した街」で、横須賀は「軍港を中心に発展してきた街」ってことでしょう。
でも、隣り合う港町なのに、どっちも「横なんちゃら」とかいう名前だから紛らわしい。



ちなみに横浜は、長い浜が横に広がってたから「横浜」になったというのが通説で、横須賀は「須賀(砂州)」と呼ばれる砂浜が横に広がっていたことに由来するという…。
つまり、横に広がってたのが「浜か砂州かという違い」、これが横浜と横須賀に関する「名前の違い」なのかもしれません。ただ、街の性格はかなり違います。
横浜は貿易港や商業で発展した都会で、外から人を呼び込む力が強い街。一方の横須賀は、軍港や基地を中心に発展してきた街で、港そのものが主役です。
つまり同じ港町でも、役割が違えば空気も変わる。まずはそこを押さえておくと、この先の話が分かりやすくなってきます。
横浜はなぜ貿易港として発展したのか


横浜港が貿易港として発展したのは、「東京の近くに外国との窓口が必要だったから」です。でも、なんで東京の港をそのまま開かなかったのかというと、当時の事情を考えるとそれも難しかった。
江戸時代の終わり頃、日本は外国との貿易を始める必要が出てきましたが、江戸城のすぐ近くに外国人が出入りする港を作るのは、やっぱり怖いし落ち着かない。とはいえ、あまり遠い場所では不便です。
その「ちょうどいい落としどころとして横浜が選ばれた」、と考えるとしっくりきます。ちなみに、日本で最初の鉄道は「新橋と横浜のあいだで開通」してますが、ここも少し引っかかるポイントです。

なんで東京駅じゃなくて新橋なのか。実は当時は新橋が実質的な東京側の玄関口で、明治初期の段階では、皇居の目の前に鉄道駅を作るのは避けたいという事情があったとされています。
一方の横浜側も、今の横浜駅ではなく、港に近い桜木町あたりが当時の横浜駅でした。つまりこの鉄道は、東京と横浜の港を結ぶための交通手段として作られたものだったわけです。

さらに当時は外国人の行動範囲も制限されていて、その内側を示す言葉が「関内」という地名として今も残っています。
外国人居留地が置かれ、中国人が言葉の面でも重宝されたことで、横浜には中華街も形成されました。
こうして見ていくと、横浜は自然に大きくなった港町というより、貿易と外国人対応のために「東京のすぐ外側に意図的に作られた町だった」、と考えるのが自然かもしれません。
横須賀はなぜ軍港の街になったのか


では次に、なんで横須賀が軍港の街になったのかというと、こっちはシンプルに「ほぼ地形の事情」です。横浜と違って、横須賀を考えるときに外せないのが「三浦半島にある街」だということ。
しかも横須賀は比較的大きな湾を持っているので、波が入りにくく船を停めやすい環境です。これは外から見ると閉じた形なので守りやすい、まさに「軍港向きな場所」。
さらに半島という地形は、ただ守りやすいだけではなく…。海軍にとっては、海上から陸上を支えやすいという特徴もあって、海上の艦船から砲撃しやすいというメリットがあるんです。

これは、万が一陸から攻め込まれても、海上からの援護がしやすいということを意味します。加えて半島は陸上からの侵入路が限られるので、防御線も作りやすく、全体として封鎖しやすい地形です。
実際、横須賀方面へドライブへ出かけると「トンネルが多いなあ」と感じる人も多いはず。こうした地形そのものが、当時は軍事的に都合が良かったと言えるわけです。


実際、昭和初期の横須賀周辺は、一般人が自由に出入りできる場所が限られていたという話もありますし、今でも横須賀市に「船越」という地名が残っているのは、かつては船による移動が生活の中心だった名残です。
こうして見ると、横浜が外に向かって開かれた貿易港だったのに対して、横須賀は半島地形を生かして守るために選ばれた軍港だったということ。
ここが、横浜と横須賀の「いちばん大きな違い」と言っていいと思います。

横浜と横須賀は結局何がどう違うのか


さて、横浜と横須賀の違いがはっきり見えてきました。ちなみに私は横浜生まれで、横須賀には叔母も住んでいるので、両方の空気をそれなりには知ってるつもりです。
でも実際に暮らしていた感覚としては、横浜と横須賀の違いをそこまで強く意識することはありません。横須賀の方が少し自然が多くて、山の斜面に家が多いかな…くらいの印象です。
ちなみに、これにはちゃんと理由があって、もともと限られた平地が軍の関連施設に使われたので、人は山の上や斜面に住むようになったから。
戦後は京浜急行電鉄が三浦半島を住宅地として開発して、後から人が広がっていった流れもありますが、叔母の家も横須賀の急斜面の上にありますし、親族からは「なんでそんな不便な場所に?」と聞かれるようです。

ただ、叔母の義父は遠洋漁業のマグロ漁師で、多くの時間を船の上で過ごす生活をしていました。
だから、窓から海が見える場所に住んでいると、家族が帰ってくる感じがして安心する ─ そんな理由で「その場所」を選んだと、叔母から聞いたことがあります。

横浜も横須賀も、もともとは海に関わる人が多い街でした。ただ横浜は商船や貿易、横須賀は軍や漁業と、海との付き合い方が少し違う。
そう考えると、横浜と横須賀はまったく別の街というより、ちょっと違うけど…だいたい似てる、それくらいの理解がいちばん現実に近い気がします。
ちなみに、横浜市から横須賀市を結ぶ自動車専用道路「横浜横須賀道路」も、地元では「横横(ヨコヨコ)」って呼んだりしますが…偶然かな。







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