「要領がいい人って、ずるくない?」そんなふうに感じたことがある人に向けた記事です。
真面目に仕事をして、求められたことを手を抜かずに頑張ってるのに、なぜか評価は「あの人」に集まる。あの人の何がそんなにすごいの?
あの人がやらないことのシワ寄せ、全部こっちに来てるんだけど…と、モヤっとする。
この記事では「要領がいい」と言われる人の裏側や、生き方の考え方を掘り下げます。読んだ後には、単なる「ずるさ」では見えてこなかった構造と、生き方の違いに気づけるはずです。
要領がいい人は「どんな人」のことなのか

「要領がいい人」とは、すべてを頑張るのではなく、「ここさえ押さえておけばいい」というポイントに集中的に力を注ぐタイプの人です。
「やらなくていい」と自分で決めたことへの労力を徹底的に削り、その分の時間とエネルギーを「絶対に押さえたいこと」に全振りして結果を出します。
一方で、いわゆる優秀な人は、動き方以前にアウトプットの質や量そのもので評価を押し切れるタイプです。そもそも成果の次元が違うため、配分の巧さが目立たない場合もあります。
そして真面目な人は、評価されるかどうかに関係なく、任されたことをすべて丁寧にこなそうとします。効率よりも誠実さを基準に行動するタイプです。
これら3タイプは一見似て見えても、行動の根っこはまったく違う。「要領がいい人はずるい」と感じるのは、能力差というよりも「力の配分」の違いが生む感覚だといえます。
要領がいい人は「なぜそういう生き方」なのか

実は私は「要領がいい」と言われることが多いタイプです。そのきっかけは、幼稚園の頃のメロディオン演奏でした。
うまく吹けず、先生に何度も怒鳴られ、泣きながら帰る日が続いたある日、「これができても人生には関係ない」と気づいてしまったのです。
周りの子がちゃんと吹いているなら、自分が音を出さなくても全体には影響しない。そう思った瞬間から、私は音を出さずに「弾くふり」をするようになりました。
楽をしたいというより、自分を守るための防衛反応だったのだと思います。この出来事をきっかけに、「全部をちゃんとやること」から降りる思考が定着しました。
いわゆる要領のよさは、評価をかすめ取るズルさではなく、「これ以上は耐えなくていい」という感覚から生まれた、生き方そのものでもあります。
要領がいい生き方をすると「どうなる」のか

要領のいい生き方を続けていると、「これは本当に必要なのか」と考える癖がつきます。力をかけるものと、切り捨てるものを自然に分けるようになり、その判断はやがて人間関係にも広がっていきます。
「この人との関係を維持するメリットはない」と判断すれば、誤解や反感を引き受けたうえで距離を置く。結果として、周囲からは冷たい人に見られることも少なくありません。
一方で、真面目にすべてを引き受けてきた人は、多くの負担を抱えながらも、人とのつながりを残しています。重さはあるけれど、失っていないものも確かにある。
どちらが正しいという話ではなく、それぞれにメリットと代償があるというだけのことです。だからこそ、要領がいい人がそのまま「勝ち組」だとは、簡単には言えません。









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