習い事としての習字は意味がない?:それでも私が子どもにやらせた理由

習い事としての習字は意味がない? 沼ナレ

書道って、今どき習わせる意味あるの? ─ そんな疑問を持った親御さんに向けて本記事は書かれています。スマホやパソコンが主流となった時代、筆を持って字を書く機会は確かに激減しました。

だからこそ「本当に役に立つのか?」「他の習い事の方がいいのでは?」と迷うのは当然です。

この記事では「書道(習字)が意味ない」と言われる理由を整理しつつ、それでもなお書道をやらせたいと思う理由、そして現代における「価値の見つけ方」についてお伝えします。

子どもにとって何が必要か?を考えるヒントを得たい方にとって、具体的な判断材料になるはずです。

 

書道は今どき本当に習わせる必要があるのか

書道が「意味ない」と言われる主な理由

現代社会では字を書く機会が確実に減っています。スマホやパソコンが主な情報伝達手段となり、ペンを手にする場面さえ珍しくなりつつあります。

そんな中で「今どきわざわざ筆で文字を習う必要ってあるの?」という疑問が出るのも自然な流れでしょう。

ボールペンやシャープペンで事足りる時代に、「筆」という非効率な道具を使うことに対して違和感を持つ人も少なくありません。

さらに「書道よりも英語やプログラミングの方が将来役に立つ」といった「実利」重視の考え方が広まり、書道の優先順位は下がりがちです。

こうした背景から、習い事としての書道に「意味を感じられない」という声が増えているのが現状です。

それでも私は「やってよかった」と断言する

それでも私は「やってよかった」と断言する

私自身、子どもの頃に書道を習っていました。そして大人になった今、「あの時間は無駄ではなかった」と心から思っています。

書道とは単に字をきれいに書くだけの習い事ではありません。見本の文字を徹底的に模写することで「観察力」と「再現力」の両方が同時に鍛えられます。

筆という扱いにくい「旧時代的な」道具で「思い通りに書く」という難しさが、自然と集中力と忍耐力も育ててくれました。

その結果、続けていくうちに他人の字を見ただけで「この人は繊細だな」「自己主張が強そうだな」と、文字からその人の性格が見えるようにもなりました。文字はまさにその人の内面を映す鏡です。

さらに模写の力を応用すればオッサンの自分が「ギャル文字」でも「丸文字」でも、もちろん「達筆っぽい字」も自在に再現できます。

つまり文字は「演じる」ことすら可能なんです。プレゼン資料や手書きメモの文字ひとつで印象を操作するスキルは、社会に出た今でも大きな武器になっています。

意味があるかどうかを決めるのは親と子次第

意味があるかどうかを決めるのは親と子次第

「書道なんて意味ないよ」と言われると不安になるのが親心。でも本当に大切なのは他人の評価ではなく、自分と子どもにとって「意味があるかどうか」です。

たとえば書くことが好きだったり、細かい作業が得意だったりする子にとって書道はのびのびと自己表現ができる場になります。逆にじっとしているのが苦手な子には向かないかもしれません。

要するに、書道がその子に「合っているかどうか」がすべて。だからこそ「周りが意味ないって言ってるから」と切り捨てるのではなく、一度体験させてみるのもアリです。

合えば続ければいいし、違うと思ったら別の道を探せばいい。そんな柔軟なスタンスこそ、子どもと習い事との良い関係を築く鍵になるはずです。

 

それでも書道に価値があると考える理由

文字を書く時代じゃないからこそ価値になる

今は「手書きの文字」が求められない時代です。スマホやパソコンがあれば用が済み、自分の字を人に見せる機会すら激減しました。

だからこそ、これからは「綺麗な字が書ける人」の価値が相対的に高まっていきます。できる人が少ないスキルは、それだけで差別化になるのです。

一方でスマホ操作やタイピングは誰もができる「当たり前の能力」になっていきます。ですが書道のように美しく整った文字を書ける人は限られています。

たとえば名刺の裏に手書きの一言を添えたり年賀状や手紙を書くといったちょっとした場面で、その字が強い印象を残すことは少なくありません。

文字を書く人が減っている今だからこそ、「書ける人」になることがスキルとしての強みになります。

日本文化としての「書道」を継ぐ力

日本文化としての「書道」を継ぐ力

書道はただの「字の練習」ではありません。それは日本独自の文化であり芸術です。そもそも「書を道とする」という考え方自体が、漢字文化圏にしか存在しません。

アルファベット圏にはない「文字そのものが意味と美を持つ」という価値観が背景にあります。

この文化は中国から伝わり、日本で独自に進化してきました。仮名文字との融合、和の美意識の発展、書を通じた精神修養 ─ それらを含めて「書道」と呼ばれます。

現代では外国人観光客に向けた書道体験も人気で、書道は日本文化の「外向けの顔」にもなりつつあります。

つまり書道を学ぶことは単にきれいな字を習得するだけでなく、「文化を継ぐ」行為でもあるのです。

私は子どもにも書道をやらせた、その理由

私は子どもにも書道をやらせた、その理由

自分が書道を習ってよかったと思っているからこそ、私は子どもにも書道を習わせました。正直、今の時代において書道は「流行りの習い事」ではありません。

多くの親が選ぶのは英語、プログラミング、スポーツなどです。ですが私はあえて「少数派」を選びました。

理由は明快です。今後書道ができる人はどんどん減っていく。だからこそ、それを続けた人が得られる「希少性」の価値は大きいと感じたからです。

私は同じ理由で「そろばん」も習わせました。電卓やスマホがある現代でも、暗算ができる人は重宝されます。供給が減っていくスキルは、いつか「特別な強み」に変わると信じています。

もちろん、すぐに目に見える成果が出るとは限りません。でも10年後「やっててよかった」と言える瞬間がきっと来るはずです。その可能性を信じて、私は子どもに書道を習わせました。

 

まとめ

習い事としての習字は意味がない?:それでも私が子どもにやらせた理由

「習字なんて今どき意味あるの?」という疑問に対して、私なりの視点で書いてきました。

たしかに日常生活で筆を使う場面は激減し、即効性を求める現代では地味で目立たない習い事かもしれません。でも、だからこそ意味があると私は思っています。

書道を通じて育まれる観察力、表現力、忍耐力、そして「意味がないかもしれないもの」に丁寧に向き合う姿勢 ─ それらは社会で生きていくうえで意外なほど力になります。

親としての判断に絶対の正解はありません。でも迷ったときは「他人がどう言っているか」よりも、「自分の子どもに合うかどうか」を基準にしてみてください。

この記事が、その判断材料のひとつになれば嬉しいです。

編集後記

編集後記

今どき、書道なんて意味あるの?
そう聞かれるたびに、内心では「うるせえよ」と思っています。

でもそういう価値観が広がっているのも事実で、「無駄」「時代遅れ」と言われてしまう理由もよく分かるんです。実際、筆を使って字を書く場面なんて今の生活ではほとんどありません。

書くよりも「入力」する時代。だからこそ余計に問いたくなるんですよね。「それって、本当に意味あるの?」って。

でも私はハッキリ言います。書道は「やってよかった」習い事です。

私は子どもの頃に書道を習っていて、その経験が大人になった今でも生きています。だからこそ自分の子どもにも書道をやらせました。

字が綺麗になることはもちろん、見本を真似る中で培われる観察力と表現力、そして意味があるかどうか分からないことに丁寧に取り組む力。

今の時代こそ、こうした力が貴重なんじゃないかと思うんです。

確かに、すぐに成果が出る習い事ではありません。でも、だからこそ「やる意味」がある。すぐに結果が出ないものに取り組める子は、どこかで必ず強くなれます。

この記事が「書道って意味あるのかな?」と迷っている方の背中を少しでも押せたら嬉しいです。最終的に大事なのは「世間の声」じゃなく、「親としてどう思うか」。

その答えは他の誰でもなく、親と子で見つけていくものだと思います。迷っているならぜひ一度やらせてみてください。そこから始まる何かが、きっとあるはずです。

 

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