通勤や通学で武蔵野線を利用していて、東浦和・東川口間の車窓に突然広がる田園風景に驚いたことはありませんか?
住宅地や商業施設が並ぶ都市近郊の中で、なぜこの区間だけ異様に広い緑の景色が残されているのか、不思議に感じた方も多いはずです。

この記事ではその謎に対し、現地調査と歴史・地形・都市計画の視点から分かりやすく掘り下げていきます。
読み終えるころには、見慣れたはずの通勤路線に対して「なぜここだけ?」と問いを立てられる視点が手に入り、日常の車窓が少し違って見えてくるはずです。
武蔵野線の車窓がやばいと感じる瞬間
東浦和駅から広がる田園の景色



東浦和駅を出てわずか数十メートル。駅前の喧騒を背に歩き出すと、足元が緩やかに下っていきます。その先に待っていたのは、思わず息をのむほどの田園地帯でした。
舗装された道の両脇には、稲がたわわに実った水田が広がり、風に揺れる穂がゆったりと波打っています。小さな用水路には魚が泳ぎ、鳥たちが飛び交う姿も見られます。
駅を出てすぐの場所とは思えない風景に、現実感が揺らぎました。視界の端から端まで、遮るものがほとんどありません。
自転車に乗る地元の人々や、公園で遊ぶ子どもたちの姿がぽつりぽつりと見えるだけで、人の気配も静か。
背後では武蔵野線が通過する音が聞こえますが、それさえもこの風景に溶け込んでいくようでした。まるで都市と田園の境界線をまたいでしまったような感覚が生まれます。
低い線路が見せる錯覚の広がり



武蔵野線が通るこのエリアでは、線路が他の路線よりも明らかに低い位置を走っています。実際に足元のトンネルをくぐってみると、その高さはおよそ1.8メートル。
背を丸めないと頭を擦ってしまいそうな感覚に、思わず身を縮めました。この低さが車窓から見える田園をより広く、圧倒的に感じさせる要因となっているようです。
高架線のように上から全体を見下ろすのではなく、ほぼ目線と同じ高さで水田と向き合う構造。そのため視界に飛び込んでくる緑の量が格段に多く、風景が包み込んでくるような錯覚が生まれます。
もともと貨物線として敷かれた歴史を持つ武蔵野線だからこそ、この低さが残されたとも考えられます。車窓からの広がりは、構造的な理由に支えられているように感じられました。
歩いて知る車窓とのスケール差


車窓からは「果てしなく広がる田園」に見えたこの風景。しかし、実際に歩いてみると印象は少し変わりました。
確かに水田が続いていることに変わりはないものの、距離感や奥行きは思っていたほど極端ではありません。
おそらく電車の低い目線と、視界を縁取る堤防や農道が、風景を額縁のように閉じ込めているのでしょう。あの瞬間、あの角度だからこそ広く感じたのかもしれません。
道を歩いていると生活音や風の音も耳に届き、五感が風景に引き戻されていきます。静けさの中にある人の営み、農作業の手の動きや、自転車で通り過ぎる声。
それらが重なることで、景色は「非日常」から「日常」へと姿を変えていきました。歩くことで見えてくるスケールの違いは、現地を訪れたからこその発見でした。
歩いて見つけた田園と暮らしの風景
大間木公園と桜橋からの眺め



東浦和駅を出てすぐの場所にあるのが「大間木公園」です。園内はよく整備されていて、サッカー場やソフトボール場が広がり、地元の子どもたちが汗を流す姿も見られました。
田んぼに囲まれた立地でありながら、開放感のある空気が漂っているのがこの公園の特徴です。道をそのまま進んでいくと、やがて柴川にかかる小さな橋「桜橋」に出ます。
木の質感を活かした素朴な構造で、どこか時代劇の風景を思わせるような雰囲気があります。橋の上から眺める川の流れと、その背後を走る武蔵野線の姿は意外なほど調和が取れていました。
稲穂が風に揺れる音と、遠くから聞こえてくる列車の音が混ざり合い、五感を優しく包み込んでくるような眺めが広がっています。
川遊びを楽しむ子どもたちの姿

田園の中を歩いていて、特に印象に残ったのは「人の姿」が意外と多かったことです。
日差しが強い日中にもかかわらず、小学生くらいの子どもたちが小川で生き物を探したり、網を持って夢中になって遊んでいる様子が見られました。
公園で遊ぶというより、まるで「暮らしの中に自然がある」という感覚に近いものがあります。
川沿いでは女の子たちが自転車を止めておしゃべりをしたり、のんびりと歩く年配の方の姿も見受けられました。初めて訪れた場所なのに、地域の暮らしがしっかりと根づいている様子が伝わってきます。
風景だけを切り取れば自然豊かな場所に見えますが、実際には人の営みと調和した生活空間。それがこのエリアならではの魅力として深く心に残りました。
田園の小径を歩いて東川口まで

大間木公園や桜橋を通り抜けてさらに東へ進むと、視界の左右に田んぼが広がる「車窓から見たあの風景」に出ます。
舗装はされていますが周囲は完全な農地で、生活の延長に自然が溶け込んでいるような空気が漂っていました。すれ違うのは自転車に乗る地元の方や、ゆったり歩く近隣住民がほとんど。
誰かをもてなすような場所ではなく、あくまで暮らしの風景がそのまま残っている印象です。では、なぜこの景色が今も残されているのか。
この一帯は、かつて江戸時代に干拓された「見沼」という沼地がルーツであり、現在も見沼代用水によって農地としての機能が保たれています。
また都市化を抑える方針のもとで行政によって保全されてきた経緯もあり、その積み重ねが「この風景」を現在につなげています。
武蔵野線に田園風景が残る理由を探る
貨物列車が多い武蔵野線の事情

武蔵野線に乗っていると、旅客列車の合間に貨物列車が通過していくのをよく見かけます。もともとこの路線は、貨物輸送を主目的として整備された背景がありました。
人口の少ない地域を通すことで、用地の確保やルート設定がしやすかったといわれています。
現在では沿線の多くが宅地化され、ショッピングセンターや団地が立ち並ぶようになりましたが、開発が及ばなかった区間では今も農地や田園の景観がそのまま残っています。
東浦和・東川口間に見られる田園風景もその一部です。むしろかつては、武蔵野線沿線の多くが「同じような風景」に包まれていたのかもしれません。
そう考えると、車窓から見える田園風景は単なる例外ではなく、武蔵野線そのものが持っていた「原風景の名残」なのかもしれません。
動物衝突が起きた田園の区間

自然が広がるこのエリアでは、鉄道と動物の距離がとても近くなります。実際、東浦和・東川口間では過去に動物と列車が接触し、ダイヤに影響が出た例が報告されたこともありました。
都市部ではあまり見られないこうした事故は、武蔵野線が自然と隣り合って走っていることを物語っています。周囲の水田や雑木林は、野生動物の移動や生息に適した環境として今も機能しるわけです。
さらに、この地区の武蔵野線周辺には小動物が人口水路を渡ることを想定した「エコブリッジ」も整備されており、人と生き物が共存できる環境づくりが静かに進められてきました。
車窓から眺める穏やかな風景の背後には、鉄道と自然が折り重なるこの地域特有の構造が確かに存在しています。
都市化の中で守られた田園景観

武蔵野線沿線ではここ数十年で宅地化が一気に進み、団地や商業施設が立ち並ぶ場所が増えてきました。そのなかで東浦和・東川口の間にだけ田園風景が残っているのは、偶然ではありません。
このエリアは「市街化調整区域」や「農業振興地域」として、都市開発の対象から外されてきた経緯があります。
さらに埼玉県・川口市・さいたま市が連携して策定した「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」に基づき、自然や農業、緑地空間を次世代に引き継ぐ取り組みが行われてきました。
かつての「首都圏近郊緑地保全法」の対象地域でもあり、法制度と地域方針の両輪で守られてきた構造が背景にあります。つまり風景が残ったのではなく、意志をもって残してきた結果といえます。
まとめ
武蔵野線の東浦和・東川口間には、沿線でも珍しく田園風景が広がる区間があります。
この景色は単なる「未開発地」ではなく、江戸時代の干拓によって生まれた見沼たんぼの名残で、現在も農業用水や行政による保全策によって維持されてきた場所。
かつては武蔵野線沿線全体に似たような田園地帯が広がっていた可能性もあり、この区間はその「原風景」を今に伝える数少ないエリアともいえます。
住宅や商業施設が増え続ける都市近郊において、こうした景観が鉄道沿線に残されている事実は、地域の歴史や都市計画の選択が形になって現れたものとも捉えられます。
通勤路線に目を向ける視点として、この田園風景は「なぜここだけ残ったのか?」を考える入口になっていくかもしれません。

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