「日本一汚い湖」はどこなのか。そんな疑問を持っている人に、まず名前が挙がるのは静岡県の佐鳴湖(さなるこ)です。
2000年代前半、佐鳴湖は環境省の調査で6年連続ワースト1位という不名誉な記録を残し、「日本一」の名が現実のものとなっていました。
しかしこの湖には、単なる水質データでは語りきれない物語が積み重なっています。市民の努力で改善に向かった道のり、そして意外にも長野県・諏訪大社とつながる不思議な伝承。
そして佐鳴湖の「後継者」として名前が挙がる湖や沼の存在もまた、環境問題の深さを物語ります。ただのランキング紹介では終わらない、ひとつの湖にまつわる奥行きを探っていきます。
日本一汚い湖といわれた佐鳴湖
2001〜2006年にワースト1位だった時代

2000年代の初め、佐鳴湖は全国の湖沼調査で水質が最も悪いと記録されました。2001年から2006年までの6年間、化学的酸素要求量(COD)が突出して高く、環境省の統計でもワースト1位を維持します。
夏の湖畔には強い悪臭が漂い、魚が大量に死んでしまう光景も珍しくありませんでした。
近隣の住民にとって「日本一汚い湖」と呼ばれることは大きな不名誉で、観光や地域のイメージにも暗い影を落としました。
新聞やテレビでも頻繁に取り上げられ、浜松市民が抱える切実な問題として注目を集めます。湖の周囲を歩けば澱んだ水面にゴミが浮かび、濁った色が広がっていたといいます。
日本でも屈指の汚染湖とされた当時の姿は、今も多くの人々の記憶に刻まれています。
どうして佐鳴湖は汚れてしまったのか

佐鳴湖がここまで汚れてしまった大きな理由は、周囲の生活排水と農業排水の流入でした。浜松市は高度経済成長期に人口が急増し、下水道の整備が追いつかず、家庭からの排水が直接流れ込みました。
さらに農地からの肥料や農薬を含む水も加わり、湖内に窒素やリンが蓄積して富栄養化が進みました。湖は規模の割に閉鎖性が高く水の入れ替わりが少ないため、一度汚れた水が滞留しやすい構造です。
夏場には水温の上昇でアオコが大量発生し、酸欠状態で魚が死んでしまうこともありました。水辺に立つと腐敗臭が鼻を突き、地元の人々も「どうにかならないか」と感じていたといいます。
自然の美しい景観を期待する訪問者にとっても、その状態は大きな落胆を呼びました。
みんなの努力で少しずつきれいになった今

2007年以降、佐鳴湖の環境は少しずつ回復してきました。浜松市は下水道整備を進め、家庭からの排水が直接湖に流れないよう改善を図っています。
市民団体も清掃活動や環境学習を続け、湖を身近に感じてもらう取り組みを広げてきました。
湖底のヘドロを取り除いたり、水の流れを生む浄化設備を導入したりと、対策は段階的に積み上げられています。その結果CODの数値は下がり、かつて日本一汚い湖と呼ばれた時代からは抜け出しました。
とはいえ富栄養化の問題は残っており、完全にきれいになったわけではありません。それでも湖畔を歩けば以前より透明度が増した水面が広がり、釣りや野鳥観察を楽しむ人の姿も戻りつつあります。
変化はゆるやかですが、地域にとって確かな前進となっています。
諏訪大社と佐鳴湖をつなぐふしぎな話
長野県にある諏訪大社とはどんな神社か

長野県諏訪市にある諏訪大社は、日本で最も古い歴史を持つ神社のひとつとして広く知られています。上社と下社にそれぞれ二宮があり、あわせて四つの宮で構成されています。
七年に一度行われる御柱祭では、山から巨大な木を切り出して社殿に立てる迫力ある儀式が行われ、全国から多くの参拝者が集まります。
社殿や祭りの背景には、自然への敬意や山・森との深いつながりが根付いています。諏訪地域は古くから内陸交通の要衝とされてきたため、信仰の場としての諏訪大社にも多くの人が訪れました。
現在も数々の伝承が残されており、水や池にまつわる言い伝えもそのひとつとして大切に語り継がれています。
諏訪大社四社の選び方

諏訪大社には四つの神社があり、それぞれに独自の信仰や見どころがあります。「ひとつだけ参拝するなら?」という疑問にはこちらの記事が参考になります。伝承の背景を深める併読先としてぜひ。
池に物を投げ入れる伝承と佐鳴湖のつながり

諏訪大社には、年末にまつわる不思議な伝承が残されています。そのひとつが、諏訪大社(上社)で一年間使用された供物や神具を、毎年大晦日の夜に葛井神社(長野県茅野市)の池に沈めるという神事です。
葛井神社は諏訪大社と深いつながりを持つ神社であり、その境内にある「葛井の清池」は、神事の締めくくりとして大切な意味を持ってきました。
そしてこの池に沈められた道具が、なんと翌元日の朝には遠く離れた静岡県の佐奈岐池(これが現在の佐鳴湖であるという説あり)に浮かんでいたと語り継がれています。
もちろん現実には水の流れがつながっているわけではなく、科学的に説明のつかない話です。
しかしこの言い伝えは今でも多くの人の心に残り、諏訪と遠州をつなぐ不思議な物語として受け継がれています。
諏訪大社に伝わる奇妙な伝承

諏訪地方の伝承として語り継がれる「この池での出来事」は、諏訪大社の歴史の奥深さを物語ります。詳しい背景を知りたい方は、こちらの記事で「諏訪大社の怖い話」として掘り下げています。
もし本当に届いていたらどうなるのか

もし葛井神社の池に沈められた物が、伝承の通り佐鳴湖にまで届いていたのだとしたら ― その積み重ねが、佐鳴湖が「日本一汚い湖」と呼ばれるようになった一因である可能性も否定はできません。
長年にわたり繰り返されてきた神事の「後始末」が、実は遠く離れた静岡の湖に届いていたとしたら、それはもう偶然では済まされない話です。
生活排水や農業排水ばかりが原因だと思われてきた佐鳴湖の汚染ですが、別のルートがあったのかもしれないという視点が浮かんできます。
もちろん科学的な裏付けはなく、あくまで伝承に基づく話ではありますが、だからこそ真実味とユーモアを帯びて語り継がれてきたのかもしれません。
佐鳴湖のあとはこの湖や沼がワースト常連に
佐鳴湖が改善に向かったあとは、別の湖や沼がワースト常連として名を連ねるようになりました。水質汚染の問題は佐鳴湖だけの特別なものではなく、日本各地で繰り返されている現実です。
ここでは、かつて悪臭で知られた手賀沼、黒い水面が象徴的な印旛沼、そして広さの裏で課題を抱える小川原湖を取り上げます。
手賀沼:臭いで悪名を轟かせた首都圏の問題児

千葉県北西部に広がる手賀沼は、かつて「悪臭の沼」と呼ばれるほど深刻な水質汚濁に悩まされてきました。
高度経済成長期以降は人口の増加と都市化が進んだことで生活排水が流れ込み、さらに農業由来の栄養分が重なって富栄養化が進行します。
夏になると水面にはアオコが大量発生し、腐敗したような臭いが広範囲に漂い、住民や観光客からも苦情が相次ぎました。
その後は自治体による下水道の整備や市民団体の浄化活動が進められたことで、現在では当時のような悪臭は大きく改善されています。
それでも水質の評価は今なお厳しく、手賀沼は長年にわたって「環境再生の象徴」と見なされ続けています。
夢に終わった手賀沼ディズニーランド構想

高度経済成長期の手賀沼を象徴する夢の計画 ─ ディズニーランド構想の詳細はこちらの記事で紹介しています。
汚れた環境への憂いと、計画が頓挫した背景のギャップに触れることで、本記事の環境問題に対する視座がさらに深まります。
印旛沼:黒い水面が物語るワースト沼の代表格

千葉県にある印旛沼は首都圏に近い立地から、生活排水や農業排水の影響を長年受け続けてきました。湖面には黒く濁った水が目立ち、富栄養化によってアオコの発生や悪臭がたびたび問題になります。
かつては「日本で最も汚い沼」と呼ばれたこともあり、地元では知らない人がいないほど有名な存在でした。
近年は下水道の整備や流域全体での水質改善活動が進み、状況はゆるやかに良くなりつつあります。ただし環境省の調査では今も全国の湖沼の中でワースト上位に名を連ねています。
自然環境に恵まれた場所だけに、本来の美しさを取り戻すための取り組みが今も続いています。
江戸時代から続く印旛沼の難題 ─ 干拓の挑戦

印旛沼が長年にわたり注目されたワースト沼である背景には、治水と干拓の壮大な歴史が隠れています。
こちらの記事では印旛沼の干拓事業が幕末から近代へと引き継がれた経緯や、その失敗と再挑戦の軌跡を掘り下げ、印旛沼という湖を形作る時間の重みを描いています。
小川原湖:広さは誇るが汚さもトップクラス

青森県の小川原湖は日本で11番目の広さを持つ汽水湖で、「北の宝湖」として親しまれてきました。しかしその広さとは裏腹に、近年では水質調査でワースト上位の常連となっています。
主な原因は生活排水や農業排水の流入に加え、閉鎖性の高い構造によって汚れが滞留しやすいこと。
さらに南側には航空自衛隊と米軍の三沢基地が隣接しており、過去には燃料タンクの投棄事故なども報告されています。
こうした背景から、市民の中には基地の存在が水質悪化に影響しているのではないかと疑問の声を上げる人もいます。
現在は下水道の整備や浄化の取り組みが進められていますが、今なお全国ワースト常連のひとつと見なされる状況が続いています。
千葉県で進む基地排水の調査(参考)
千葉県では、航空自衛隊下総基地からの排水が手賀沼や下手賀沼に及ぶ可能性を踏まえ、調査を進めています。
下総基地周辺の水路ではPFOSやPFOAといった有機フッ素化合物が高濃度で検出され、こうした経緯から基地との関わりが懸念されているとのこと。
小川原湖も三沢基地に隣接しており、基地周辺の水環境への関心は今後さらに高まっていくかもしれません。
なお、かつて水質ワースト1位とされた佐鳴湖の北側にも航空自衛隊浜松基地があり、地形的には似た構図が見られます。
まとめ
「日本一汚い湖」と呼ばれた佐鳴湖の過去には、データだけでは語れない現実があります。
生活排水や富栄養化という言葉で整理されてきた背景には、地域の人々が抱えた息の長い苦労と、小さな変化を積み重ねてきた時間があります。
そしてもう一方では、遠く離れた諏訪の地から届いたという伝承が別の物語を差し出してきました。
科学的な根拠はなくても、長く語り継がれてきた言い伝えには、それだけの想像と記憶が積もっていたということです。
なぜ汚れたのか、何が積もっていたのか。湖面をのぞき込むとき、ただ映るのは水だけではありません。
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