アジの煮付けが出てきたとき、「なんでこれなんだろう」と思ったことはありませんか。決して珍しい料理ではないのに、どこかテンションが下がる。しかも、それを言葉にするのは少し気が引ける。
この記事はそんな「アジの煮付けがまずい」と感じた経験がある方に向けて、その違和感の正体を丁寧にひもとくものです。なぜ煮付けなのか、なぜまずく感じたのか、そしてどう受け止めればいいのか。
感覚の理由を構造で整理しながら、納得の落とし所まで導きます。読み終えたとき、自分の感じ方を肯定しながら少しだけ視点が変わる ― そんな読み心地をお届けします。
アジの煮付けがまずいと感じる理由
青魚の臭みと甘辛い煮汁の香りがぶつかるから
アジは青魚特有の脂やにおいを持っており、その風味が甘辛い煮汁とぶつかることで独特の「鼻につく」香りを生みます。
「塩焼き」であれば香ばしさがその臭みを飛ばしてくれますが、「煮付け」の場合は汁ににおいが閉じ込められ、口に入れる前から強く香ってしまう傾向があります。
しかもその香りは食卓に出た瞬間から立ち上ってくるため、苦手な人にはかなりストレスになります。
魚の鮮度が落ちていたり下処理が不十分だった場合はさらに臭みが際立ちやすく、結果として「まずい」と感じる原因になります。
また味の濃さでごまかしているように感じる人も多く、「臭いのに甘い」というミスマッチが記憶に残りやすい要素でもあります。
骨の多さや見た目が食欲をそぐ原因になっているから

アジは小骨が多く、真ん中に硬い中骨もあるため「煮付け」にされると非常に食べづらく感じる魚です。食べるたびに口の中で骨をよける必要があり、集中して食べられない不快感が出やすくなります。
また煮汁を吸った魚の皮や身は崩れやすく、見た目にもあまり華やかさがありません。
茶色くどろっとした煮汁の中に「ぐずぐず」になった魚が沈んでいる状態は、特に若い人や子どもにとって「食欲をそそる見た目」とは言いにくい状態。
味うんぬんの前に「うわ、これか」とテンションが下がってしまう見た目と食べにくさが、「煮魚は苦手」という印象を強く残す原因になっています。
体調不良を連想させる記憶と結びつくことがあるから

味やにおいに対する印象は、過去の記憶と強く結びつくことがあります。
アジの煮付け特有の「ツンとくる香り」が、たとえば「風邪を引いたときの鼻がツーンとする感じ」や「食欲がないときに無理やり食べたもの」と重なることで、食欲が失せてしまうことがあります。
実際に体調が悪かった時の匂いと一致しているわけではなくても、似たような匂いのパターンを無意識に脳が記憶していて、「この匂いは具合が悪い時」という反応が出ることも。
すると味や食感とは関係なく「これを食べると気分が悪くなる気がする」と感じてしまい、「まずい記憶」として刷り込まれてしまうことがあります。
なぜアジは煮付けにされることが多いのか
塩焼きよりも「手をかけた印象」が伝わりやすいから
アジは日常的な魚であるぶん、どう調理されるかによって「料理の格」が変わって見えることがあります。
「塩焼き」は最も手軽な調理法ですが「ただ焼いただけ」と受け取られやすく、家庭では「手抜き」に見られることを気にする人も少なくありません。
一方で「アジフライ」は衣づけや揚げ油の処理など、毎日の食卓としては手間がかかりすぎる。そして、その中間に位置づけられるのが「煮付け」です。
調味料と鍋さえあれば形になり、工程も比較的シンプルですが「火を入れて味を染み込ませる」ことによって、自然と「ちゃんと作った感」が出やすくなります。
こうした背景によって、アジは「煮付け」という形で出されやすくなります。
大量調理の現場では扱いやすい料理とされているから

アジの煮付けは学校給食や社員食堂、寮の食事など、大量に調理する現場で採用されやすい料理です。その理由は「塩焼き」に比べて調理後の管理がしやすく、見た目の劣化や味の変化が少ないから。
「塩焼き」は時間が経つとパサつきやすく、冷めると風味も落ちるうえに焦げや焼きムラのリスクもあります。
一方「煮付け」なら均一に味が入り、冷めても味が濃いため満足感が残りやすく再加熱も簡単です。
また煮汁によってにおいや魚のクセをある程度抑えられる点も、大人数に提供するうえで都合がよく、結果的に「無難な魚料理」として選ばれることが多くなっています。
煮魚は健康的だという固定観念が浸透しているから

「煮魚は健康的な和食」というイメージが世間一般に深く根づいています。
脂を使わずに調理され、甘辛い味付けがあるためにご飯との相性もよく「体にいいものを食べさせたい」という気持ちが働くとき、煮魚が選ばれやすくなります。
アジは青魚としてDHAやEPAなどの栄養素も豊富で、健康的な魚というポジションにあり、そこに「煮付け」という伝統的な調理法が加わることで「正しい食事」という印象を強めてしまいます。
この固定観念が実際の味や香りに関係なく「煮魚なら健康的で間違いない」という選択を後押ししてしまう場面は、家庭でも現場でも意外に多く見られます。
アジの煮付けをどう受け止めればいいのか
手間をかけてくれた気持ちを想像してみる
アジの煮付けを見て「あまり嬉しくないな」と感じたとしても、それは自然な感覚です。ただ煮魚という料理は見た目に反して手間のかかるものです。
魚の下処理、臭み抜き、火加減や煮崩れへの配慮など、簡単には完成しません。たとえ味が好みに合わなかったとしても、「ちゃんと作ろう」とする気持ちが込められていた可能性があります。
無理に「美味しい」と納得する必要はありませんが、その料理に費やされた時間や手間に少しだけ目を向けてみると、受け止め方が変わることもあります。
「まずい」と感じた事実を否定せずに、「どんな気持ちで出されたものだったのか」を想像することも、ひとつの整理の仕方ではないでしょうか。
保存や都合を含めた現実的な選択だったと考えてみる

アジを煮付けにする理由は、「これが一番おいしいから」とは限りません。「刺身」にできるほど新鮮ではなかった、「塩焼き」ではにおいが気になる、けれど捨てるには惜しい。
そんなときに選ばれるのが、保存ができて臭みもやわらぐ「煮付け」という方法です。
「とりあえず煮ておけば明日も出せる」「できるだけ無駄にせず食べきってほしい」― そんな現実的な判断が背後にあったのかもしれません。
不満を感じたとしても、状況によってはそれが「最適な方法」だった可能性もあります。
「どうして煮付けだったのか」と考え直してみると、その背景にある配慮や判断が見えてきて、少し気持ちが和らぐかもしれません。
命をつないできた料理だと思って静かに記憶にしまう

戦時中、日本兵達は川に手榴弾を投げて浮いてきた魚を煮て食べた、という記録を読んだことがあります。
強いにおいがして味もよくなかったそうですが、それでも長時間煮て、ご飯と一緒に食べることで命をつないでいたそうです。
煮魚はただの家庭料理ではなく、極限の中で「どうにか食べるため」に生まれた料理でもあります。
もしアジの煮付けが苦手な記憶として残っているとしても、それが「誰かがどうにか食卓にのせようとした結果」だったと考えてみると、その記憶の意味合いも変わってくるかもしれません。
無理に好きになる必要はありませんが、そっと静かに棚に戻しておくような受け止め方も、ひとつの方法ではないでしょうか。
まとめ

アジの煮付けがまずいと感じた経験は、多くの方に共通する違和感かもしれません。独特な香りや食べにくさ、見た目の印象 ― そこに苦手意識を持つのは自然なことです。
しかしその一皿が食卓に並ぶ背景には、作り手の気持ちや生活の事情、時には歴史的な文脈まで重なっている場合もあります。
好きになる必要はありませんし、無理に美味しいと思い直す必要もありません。ただ「なぜこれだったのか」と考えてみることは、自分の記憶や感情に静かに折り合いをつけるための一歩になります。
まずさの中にも誰かの意図や工夫、そして日々の現実があったこと ― それに少しだけ目を向けてみることで、アジの煮付けとの向き合い方が変わるかもしれません。
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